グッド・ラック

 ―障害を持つことは不幸とは限らない―

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私は交通事故で脳に外傷を受けた当事者です。後遺症が残りました。
 

1  自分の身体がままならぬ

事故当時、救急センター入院時は、自分で自分の体をコントロールできず、どうしようもなく、何もできない状態でした。というのは・・立つ事ができず、右足・右手・右腕を思うように動かせず。話すというコミュニケーションがうまく取れないのです。正確に正しく発音できないからです(構音障害)。また体幹失調・平衡機能障害もあり、さらに視界は「複視」の世界でした。これらの障害については、ほとんど理解できないだろうと想像します。ここでは説明する時間もないので、僕のHPを見ていただければと願います。 ( http://nagy95831.tripod.com/ ) リハビリ訓練セラピスト・障害を持った仲間たち・医療スタッフに支えられ、ここまで回復してきた事に、ただただ感謝しかありません。

2  障害を持つことは不幸なのか??      みんなに支えられて私がいるのです。

私にとっては、障害を持つことは必ずしも不幸ではなかったのです。「不運であったかもしれないが、不幸ではない。」という言葉に納得させられました。

 私には構音障害があり、相手とコミュニケーションがうまく取れないことがありました。その時に識字教室のおばあちゃんと自分が重なりました。コミュニケーションを取れないことがこんなに苦しいことなのだと解かったのです。「理解して貰えない苦しみ。」でした。「伝えられない苦しみ。」でした。

また右片麻痺と言う現実があり、精神的に苦しい出来事でした。私の手も足も、顔までも自分のもので無い感覚。自分を思うように表現できないという悔しさ、もどかしさ。訴えたいことが伝えられないこともたくさんあったのです。できないことがあきらめにつながる。孤立無援の感覚です・・・。そのような経験を別の言葉で言えば「心的外傷」と言うそうです。

 ところが・・セラピストの「それでいい。」という言葉に、なぜかそれまでのフラストレーションや絶望感が吹っ切れました。その言葉は 「やってみろよ! きっと できるよ!」そんな風に感じられました。セラピストの心意気(人格)と言葉に今まで悩み・迷っていた事が吹っ切れました。なぜでしょう。あまりにも絶望的で、あまりにも世間から離れていたからでしょうか。幸運にも、リハビリ病院で、感情や気持ちが癒され始めます。リハビリスタッフと病院のスタッフとの出会いからです。  「支えられた」そんな感情を持ち始めました。患者を勇気づける豊かな心や気持ち、心遣い。暖かさ。 これって・・・・「仕事だから」と言うことだけではないと感じました。  「障害は受け止めて跳ね返せば良い。僕たちは志や目標があれば、頑張れる。」 そんな元気を貰いました。

3  自分は自分でしかない

入院中に、身に沁みて感謝したことがあります。
1:事実を事実として認めることができたということです。

「自分の障害を自覚することは、本当に衝撃でした・・・でも、自覚する事によって自分で考えることが出来たんです。自覚が回復への第一歩だったのです・・・。」  私は自力で歩けない状態でしたので。その状態をはっきりと理解しないと、正しい治療を受けて、自分自身を良くなる方向へ持っていくことができません。僕には自分に都合の悪いことは認めたくないという気持ちが働くことがあります。自分の中にある心を認めたくないということがあります。この時、私も家族も事実をしっかり受け止めて、治療に励むことができました。これがポイントだったと思うのです。

2:他の人と比較しなかったということです。

 心・気持ちが弱くなり、最初は、どうしても 他の人と比較していまいがちでした。病院の中にはいろんな状況の人がいて・・・歩くことのできない人は歩ける人をみるとうらやましく思うし。「何故自分はこんなになってしまったんだろうか」と嘆いたり、また、他の患者さんに対しても・・・「あんなにならなくて良かった」と思ってしまったり。他の人に対しても自分に対しても・・いろいろ余計なことを考えがちです。(しんどい思いをし、ストレスを溜め込んでいたのです。)それは、大きな「不安の中」にいたからです。そんな「不安の中」でも、私が比較することにこだわらなかったのは、「(自分は)自分でありたい」そんな願いが残されていたからかと考えます。ともかく、私、そして家族がさほどしんどい思いをしないで、少しでも良くなることに前向きに、回復しようと集中できた事を感謝しています。

4  出会ったひとたち勇気をくれた人たち

私の知合い重川さんは松前町にいます。重川さんは「閉じ込め症候群」でありながらネットで発信し続けています。こんなに活躍なさっているのに驚きです! 勇気を貰っています。   「健常者、障害者を乗り越えている」ことに感動しました。彼のしっかりした考えと、 力一杯の生き様には、感動・感心しています。いつも励まされています。「自分は自分でしかない。」と教えてくれたことに感謝しています。障害者が障害を否定するべきではないと重川さんと会ってわかりました。      そしてまた、山田さんがいました。山田キクコさんは高松市の医者で、高次脳機能障害という障害を持って闘っている。メル友です。「壊れた脳 生存する知」という本を書いた人です。入院中そして今も、この本に、山田さんにずいぶん元気をいただいています。山田さんが運悪く「左手を骨折していた」時のコメントですが、「商売柄いろいろ荒療治もやって3週間で治しました。・・・・」と言う、人間の身体を信じる考えに励まされました。「症状に必ず理由があるのであればその原因を・・なぜ 自分がこんなことで苦しんでいるのか、原因が知りたい。」と著書にあります。その言葉に励まされ、複視の原因を捜すきっかけを与えてくれました。勇気を与えてくれました。ここでも諦めないことを、自分を・人間の身体を信じることを教えてもらいました。「患者ときちんと向き合わない治療に成果は伴わない。」という言葉があります。複視には「当事者でないと・、専門の医者でないと解からない」とつくづく思い知らされました。 山田さんに「何でも自分のことのように想像できる能力ってものすごく大切なのです。大人になっても想像力を鍛えましょう。」と言葉をいただいたこともありました。

病院で会った患者仲間たちにも支えられ、回復の目標にもなりました。(皆さんそれぞれ目標を持って、頑張っていたからです。)出会えて良かったと感謝しています。

 私にとっては、挫折や無能を感じたこの経験が、多分大いに役立つのだと信じたい。時には禍だって福に転じることもある。いい結果をもたらすこともある。病院で過ごしたあの「苦悩と絶望の時間」を。その中で感じた「いたわりと思いやりの時間」を。寄り道は無駄ではなかったと思います。山田さんの前向きに動こうとする元気や、重川さんの生き様。そんな生き方をしたいと励まされています。病院で知り合った人、ネットで知り合った仲間達。この経験が無かったら知り合いになれなかった人たちです。僕はいろんな人から元気を貰っているのだと感謝しています。そして、ここでこんなことを発言できるのも、気負いすぎずにここまで来る事が出来たのも・・家族の支えがあったからだとしみじみ思います。

5  障害を諦めない

幸いにも隣町に重川さんがいて、香川県に山田さんがいて、勇気をいただいています。家族の支えがあって。皆さんのサポートを得られて。国の制度に助けられて。私はここまで回復してきたのです。 「諦めない」ことが一つの鍵ではないかと思います。

ハートビル法ができてもう十年以上経つのに・・(障害者をみていない)社会のありかたに「ヒューマニズム精神は無いのか?」と罵ろうとしてしまう私がいます。ヒューマンエイトのあるメンバーから「思い上がるな」「謙虚になれ!」と言葉がありました。非難するだけでなく、自分を見つめることの大切さを気づかされ。事実を受け入れて、素直に丁寧に理解しながら知識を吸収していくこと。忠告されてまた救われたと思っています。なぜか、希望の光が見えた気がしました。しかし、あの誹りの中に「理解してもらえない者の悲しみ」が有ることに気づくのも(お互いを理解し合う上で)重要なのだとも思います。ともあれ、人権について考えることで、私には希望の光が見えてきたと感じています。人権の根っこは同じだろうと思います。入院時に感じたあの「いたわり」や「思いやり」に出会いたいのです。それを伝えたいのです。いま自分にできることから・・、謙虚になってもう一度、考えてみること。感じてみること・発言すること。ここからが私の出発点だと思います。希望は自分の足元にある。 

GOOD LUCK!

 

 

 

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